あなたは牧野富太郎という人を知っていますか?
牧野富太郎は「日本の植物学の父」と呼ばれた人で、江戸時代末期から明治・大正・昭和を生き抜いた人で東京大学では講師を務め、没後に文化勲章を追贈されています。
しかし、最終学歴は小学校中退という驚きの学歴を持っています。
今回はそんな牧野富太郎が、生まれてから世界的な植物学者になるまでの経歴をたどります。
目次
1. 牧野富太郎、経歴がすごい!小学中退で東大で講師!
牧野富太郎は小学校をわずか2年で中退したにもかかわらず、27年間も東京大学で講師を務めました。
いったいどのような経歴の持ち主なのか、その人生を振り返ります。
牧野富太郎は1862年(文久2年)、土佐国高岡郡佐川村(現在の高知県佐川町)に生まれます。
実家は商家を営んでおり、裕福な家庭だったそうです。
しかし、幼い頃に父、母、祖父を続けて亡くし、6歳の頃から祖母に育てられました。
12歳の頃に佐川小学校に入学しますが、物足りなさを感じ、14歳の頃に自ら退学してしまいます。
それからは、植物採集に精を出すようになりました。
学びの意欲はどんどん深まり、植物学の書籍や顕微鏡を買うために、19歳の頃に初めて上京します。
その際、文部省博物局で当時最新の植物学について学んだり、植物園を見学しています。
22歳になり、植物学についてもっと研究するため、牧野富太郎は二度目の上京をします。
そのときに東京大学への立ち入りを許可され、さらに研究にのめり込みました。
その3年後、研究仲間らとともに「植物学雑誌」を創刊。続けて翌年には、「日本植物志図篇」の刊行も始めます。
そして、1889年27歳の頃、土佐で発見した新種に「ヤマトグサ」と名付け、「植物学雑誌」第3巻で発表しました。これは日本人が初めて学名を付けた日本人初の偉業です。
31歳になり、東京大学で助手として働き始めます。
植物採取のために、国内のみならず、海外も飛び回りました。
同時に「新撰日本植物図説」や「大日本植物志」など、数多くの雑誌の刊行も行い、50歳の頃に東京大学の講師になりました。
講師となってからも、精力的に研究を続けました。
その結果、65歳の頃に、理学博士の学位を受けます。
小学校中退という最終学歴から、博士の学位を受けるのは簡単なことではありません。
研究の成果や雑誌の刊行など、長年努力を積み重ねた結果だといえます。
77歳になり、務めた講師を辞任します。その翌年、「牧野日本植物図鑑」を発刊します。
この図鑑は、新たに編集を加えられながらも、現在も国内最大級の図鑑として多くの人に読まれています。
牧野富太郎は94歳でその生涯を終えますが、感染症や肺炎を患い、床に臥すことが増えても、研究や執筆を続けていたそうです。
牧野富太郎の経歴や生い立ちを辿りました。聡明なだけではここまでの結果は残せないでしょう。
研究熱心な性格や、植物への想いが伝わってきます。
2. 牧野富太郎、糟糠の妻とスエコザサ!
牧野富太郎は26歳の頃に、東京に出てきた元彦根藩士の娘、小澤壽衛子(すえこ)と結婚します。
31歳で東京大学の助手になりますが、給料はかなり少なかったとのことです。
しかし、研究にはお金もかかります。
必要だと思った書物には、どんなに高価でも惜しむことなくお金を使っていたようで、牧野家の家計は常に余裕がありませんでした。
また、借金を重ねていたため、借金取りに追われることもありました。
逃げるために何度も引越しを繰り返したそうです。
そんな中、家庭や牧野富太郎の研究を支えたのが妻・壽衛子でした。
13人もの子どもが生まれ、研究費もかさみ、大変な生活だったと想像できます。
夫を尊敬し、いつか研究の成果が出ると信じていたからこそ、家庭を守り続けられたのでしょう。
そんな妻も、牧野富太郎が66歳の頃に54歳で亡くなります。
長い間見守り、支え続けてくれた妻への愛と感謝を込めて、牧野富太郎は妻が亡くなる前年に発見した新種の笹に「スエコザサ」と名付けます。
妻・壽衛子の墓碑には、牧野富太郎が詠んだ句が二つ刻まれています。
家守りし妻の恵みやわが学び
世の中のあらん限りやスエコ笹
妻の支えなくして、牧野富太郎の功績は残せなかったかもしれません。
3. 牧野富太郎、集大成の植物図鑑!
牧野富太郎は生涯で40万枚もの標本を集め、1500種類もの植物に名前をつけました。
1940年、牧野富太郎が78歳の頃に、これまでの締めくくりとして「牧野日本植物図鑑」を発刊します。
この図鑑は、今ではインターネット版もあるほど、80年以上経っても植物学に関心を持つ人などから需要が高い図鑑です。
2017年に改訂版として出版された「新分類牧野日本植物図鑑」では、計5196種類もの植物が掲載されています。
人生をかけた研究の集大成。現在出版されているものは写真が中心ですが、当時の植物図鑑はスケッチ図でした。
細部まで丁寧に、細かく描かれた「牧野式」と呼ばれる図法は、一度じっくりと見てみる価値がありそうです。
4. おわりに
今回は牧野富太郎についてご紹介しました。
「雑草という名の草はない」という言葉を残すほど、植物への愛に溢れた人だということがお分かりいただけたと思います。
また、4月24日は牧野富太郎の誕生日にちなんで、「植物学の日」と制定されています。
植物に興味がわいた方もいるのではないでしょうか。
いつもの帰り道やご自宅の近くなど、植物をながめてみるのもいいかもしれません。
最後までお読み頂きありがとうございました。