雲田康夫さんがミスタートーフということで、話題になっています。
アメリカで苦労しながら日本食の豆腐を普及させたことからMr. Tofuと呼ばれるようになったそうです。
雲田康夫さんがどんな方か気になったので色々調べてみることにしました。
目次
1. 雲田康夫さんがアメリカでミスタートーフと呼ばれた訳は?
雲田康夫さんは1966年に青山学院大学卒業後、森永乳業に入社されます。
有名私大から大企業へと順風満帆のようですが
会社では豆腐の販売に尽力するが、日本では1979年、中小企業保護法が成立したことにより、豆腐の販売には全国豆腐商業共同組合の許可が必要になりました。
当然、豆腐組合は大企業の豆腐販売を許可しない為、国内での豆腐販売は暗礁に乗り上げてしまいました。
いろいろと仕事や人生では壁は出てくるものですねえ。
・アメリカに進出
そこで、当時日本食の海外普及に便乗してアメリカ市場を開拓することを決定し、1985年に現地法人を設立して社長に就任されました。
しかし、豆腐を全く知らないアメリカ人に、豆腐を説明して食べてもらうことは難しかった、とおっしゃっています。
(謙遜かも知れませんが、当時は英語ができなかったそうです。)
豆腐は低カロリーでコレステロールゼロの植物性高タンパク食品なのだが、実際に食べてもらうと、「気持ち悪い」「味がない」などのネガティブな反応。
当時、豆腐の原料である大豆は家畜のエサであり、アメリカ人は大豆を人間の食用とは思っていなのです。
当時のアメリカ人にとって、豆腐は家畜のエサで作ったきもち悪い食べ物という印象しかなかったそうです。
さらに1988年には全米紙『USA Today』が、「アメリカ人が最も嫌う食品は豆腐」を掲載。
その上、本社から撤退命令が・・・
絶対絶命のような感じが。。
・アメリカで豆腐を販売するまで
こんななかでも雲田さんはあきらめずにがんばります。
ロサンゼルスマラソンに豆腐の着ぐるみを出場したり、車のナンバープレートを「TOFU NO1」にしたり、あの手この手で奮闘します。
そんななか、1993年当時のクリントン大統領の妻ヒラリー夫人が、夫に健康食品の豆腐料理をすすめているとラジオ番組で話したことがきっかけになり、注文が殺到。
そうしてアメリカで苦労しながら日本食の豆腐を普及したことから雲田さんはアメリカ人からミスタートーフと呼ばれるようになりました。
どんなことでも粘り強く挑戦すれば道は開ける、ということですね。
雲田さんはその経験から「桃栗3年、柿8年。豆腐は10年かかるね」と言っておられます。
2. 雲田康夫さんの経歴は?
1941年樺太生まれ。
1966年、青山学院大学法学部卒業、森永乳業株式会社入社。
1985年に単身渡米し、森永乳業の現地法人を設立(MNF社)を設立し、社長に就任。
アメリカでの豆腐製造・販売に乗り出すが全く売れず、あの手この手で奮闘する。
以後数々の失敗を繰り返していたが、1993年に ヒラリー夫人が豆腐の話をしたのをきっかけに注文が殺到。
2008年 農林水産大臣賞を受賞、カリフォルニア下院議員表彰、トーランス市長賞を受賞
2015年 ロサンゼルス総領事表彰
2016年 旭日双光章受賞
3. 雲田康夫さんの現在は?
2015年には中京大学客員教授をなさってたようですが、2016年にはその任になかったようです。
2019年には日本食文化振興協会理事長をなさってたそうです。
追記:2020年1月すい臓がんで逝去されました。
4. おわりに
いかがだったでしょうか?
雲田康夫さんは、柔軟な発想と行動力、そしてなによりもどんなに失敗しても諦めない姿勢が栄光をもたらせと思います。
我々凡人としても見習いたいものです。
また、2015年にはご本人の著作として
豆腐バカ 世界に挑み続けた20年 (集英社文庫)
が出版されています。
ここまでお読み頂き、ありがとうございました。