
篠原信一さん (出典:chunichi.co.jp)
篠原信一さんは現在、長野県安曇野市で暮らしながら、農業や地域活動に取り組んでいます。
安曇野市スポーツ大使や「あづみの移住大使」を務め、これまでの柔道経験を生かしてスポーツ振興や地域の魅力発信にも携わっています。
ここでは、篠原信一さんが安曇野市へ移住した経緯や、現在の活動について紹介します。
目次
篠原信一さんの現在は?
篠原信一さんは、2020年に長野県安曇野市へ移住し、現在は農業をしながら地域活動にも取り組んでいます。
安曇野市ではスポーツ大使と「あづみの移住大使」を務め、スポーツ振興や移住促進、市の魅力発信などに協力しています。
また、移住後は農業にも力を入れており、ブルーベリーを栽培するほか、桃の栽培も始めています。
柔道家やテレビタレントとして知られた篠原さんですが、現在は安曇野での農業や地域活動を中心とした生活を送っていることが大きな特徴です。

安曇野で果樹栽培に取り組む篠原信一さん (出典:takii.co.jp)
2026年も活動!安曇野市スポーツ大使として地域に貢献
篠原信一さんは、2021年10月8日に安曇野市スポーツ大使に就任しました。
スポーツ大使として、安曇野市のスポーツ振興や市民の健康づくり、小中学校でのスポーツ教室や講演会などに協力しています。
2026年6月に開催された第12回信州安曇野ハーフマラソンにも参加しており、現在も安曇野市のスポーツイベントなどで活動しています。
現役時代に培った柔道家としての経験を生かし、地域のスポーツ振興に貢献していることが分かります。
あづみの移住大使として地域の魅力を発信
2022年5月には「あづみの移住大使」に就任しました。
自身が安曇野で暮らしている経験を生かし、移住を考えている人に向けて、地域の魅力や暮らしやすさを伝える役割を担っています。
スポーツだけでなく、実際に暮らしている住民としての視点から地域の魅力を発信していることも、現在の篠原信一さんの活動の一つです。
安曇野で農業に取り組む
篠原信一さんは、安曇野市へ移住した後、農業にも取り組んでいます。
安曇野市の紹介によると、移住後はこだわりの農法でブルーベリーを栽培し、さらに桃の栽培も始めています。
柔道選手として長年活躍してきた篠原さんですが、現在は自然豊かな安曇野で農業に取り組む生活にも力を入れています。
柔道やテレビ出演だけではなく、農業という新しい分野に挑戦していることも、現在の篠原信一さんを知るうえで注目したいポイントです。
篠原信一の年齢・プロフィール・経歴
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 篠原信一(しのはら しんいち) |
| 生年月日 | 1973年1月23日 |
| 年齢 | 53歳(2026年10月現在) |
| 出身地 | 兵庫県 |
| 身長 | 190cm |
| 体重 | 135kg |
| 段位 | 六段 |
| 出身大学 | 天理大学 |
| 主な実績 | 2000年シドニー五輪100kg超級銀メダル |

篠原信一さん (出典:nikkei.com)
中学時代に柔道を始め、育英高校へ進学
篠原信一さんは中学1年生のときに柔道を始めました。JOCのプロフィールでは、柔道を始めたきっかけについて「中学校の先生から薦められて」と紹介されています。
その後、兵庫県の育英高校へ進学し、柔道に本格的に取り組みます。高校3年時にはインターハイ重量級で決勝トーナメントに進出し、全国レベルの選手へと成長しました。
天理大学で頭角を現し、全日本学生選手権で優勝
天理大学では2年時には全日本学生選手権で初優勝を果たし、全国トップクラスの重量級選手として頭角を現しました。その後、世界を目指すようになり、卒業後は旭化成へ進みます。
旭化成で活躍!1999年世界選手権で2階級制覇
天理大学卒業後、篠原信一さんは旭化成に入社し、実業団選手として活躍しました。
1995年に全日本選手権へ初出場し、1998年にはアジア大会100kg超級で金メダルを獲得。1999年には世界選手権100kg超級・無差別級の2階級制覇という快挙を達成しました。これらの実績が評価され、2000年のシドニーオリンピック日本代表に選出されました。
シドニー五輪決勝で何があった?判定をめぐる論争と銀メダル
内股すかしの判定をめぐり論争に
2000年9月22日、シドニー五輪柔道男子100kg超級決勝で、篠原信一さんはフランスのダビド・ドゥイエ選手と対戦しました。
試合では、篠原さんがドゥイエ選手の内股をかわして投げたように見える場面がありました。しかし、主審は篠原さんの一本を認めず、最終的にドゥイエ選手の「有効」と判定されました。
この判定をめぐって日本側からも抗議が行われましたが、判定は覆らず、篠原さんは銀メダルとなりました。

まぼろしのガッツポーズに終わった篠原信一さん (出典:hochi.news)
日本側から抗議する事態に
この判定をめぐっては、日本側も納得できない結果として抗議しました。
しかし、判定は変更されませんでした。
篠原信一本人は判定についてどう語った?
試合後、篠原さんは判定への不満を表立って口にするのではなく、JOCの大会レポートで「感想も何もない。弱いから負けた」とコメントしています。
判定をめぐって大きな議論が起きた一方で、篠原さん自身は結果を受け止め、自らの力不足を認める姿勢を示しました。
引退後は日本代表監督やタレントとして活躍
2003年に現役を引退した後は、天理大学で柔道部の指導に携わりました。
2008年には柔道男子日本代表監督に就任し、2012年のロンドンオリンピック後まで日本代表を率いています。
その後はテレビ番組にも出演し、柔道解説やバラエティー番組などで活躍しました。
柔道界で指導者として活動する一方、親しみやすいキャラクターを生かしてテレビでも知られる存在となりました。

バラエティー番組出演の篠原信一さん(右) (出典:fujitv.co.jp)
篠原信一の妻・幸世さんと子供4人
篠原信一さんは、1995年11月に幸世さんと結婚しています。
妻・幸世さんはどんな人?
幸世さんは篠原さんより1学年上で、天理大学時代からの知り合いだったとされています。
2人の間には4人の子供がおり、息子3人、娘1人の家族構成です。
子供4人の現在は?
息子3人は柔道に取り組んでいたことが知られていますが、篠原さん自身が子供たちを指導していたわけではないようです。
また、篠原さんは過去のテレビ番組などで、娘さんに注意するときは妻の幸世さんに任せることがあると話していました。娘さんに嫌われたくないという父親らしい一面がうかがえるエピソードです。

愛犬とくつろぐ篠原信一さん (出典:jtame.jp)
篠原信一についてよくある質問
篠原信一は現在何をしている?
篠原信一さんは、長野県安曇野市で農業に取り組みながら、安曇野市スポーツ大使や「あづみの移住大使」として地域活動にも携わっています。
篠原信一は現在何歳?
1973年1月23日生まれなので、2026年10月現在53歳です。
篠原信一の妻は誰?
妻は幸世さんです。1995年11月に結婚し、4人の子供を育てています。
篠原信一はなぜ銀メダルだった?
2000年シドニー五輪100kg超級決勝でフランスのダビド・ドゥイエ選手と対戦し、判定をめぐる論争となりました。結果は篠原さんが銀メダルでした。
まとめ
篠原信一さんは、中学1年生から始めた柔道で実績を重ね、1999年の世界選手権では100kg超級と無差別級を制覇しました。
2000年のシドニー五輪では男子100kg超級で銀メダルを獲得し、現役引退後は柔道男子日本代表監督も務めました。
現在は長野県安曇野市で暮らし、農業に取り組む一方、スポーツ大使や「あづみの移住大使」として地域活動にも携わっています。
1995年に幸世さんと結婚し、4人の子供がいることも知られています。
柔道家としての輝かしい実績だけでなく、安曇野で新しい生活を築いている現在の姿も、篠原信一さんの魅力の一つといえるでしょう。
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